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バタバタとしたこと

Posted by うえはらせいこ on 02.2011 0 comments 0 trackback
さぼりにさぼっている、ブログを復活させれたらと思います。
Face Bookはこまめに更新してるんですが…。

現在、首都のダカールに滞在しています。

日曜日から、広域研修でエチオピアに行かせていただきます。
その為の諸手続きの為、上がってきました。

まずは公用旅券の渡航先追記手続き。

協力隊員が持っている公用旅券は行き先が限られています。
よって、日本大使館にて渡航可能な国を追加してもらいます。

そして、エチオピアのビザ。
PC021967.jpg

こちらの取得がめんどうでした。
JICAからの文面ではなく、大使館からのレターでないと
ビザを出せないと言われ、足止め。
調整員さんに連絡して、調整員さんから大使館の方に連絡してもらって
大使館の方にレターを作成してもらって、
大使館にレターをいただきに行って、再度エチオピア大使館へ。

当初の情報では3日で終わるはずが、8日かかっちゃった。
結局タンバに戻らず、ダカールで待機状態に。

エチオピア大使館の領事は
「そうそう、これこれ」と満足そうに言っていたけれど、
そんな情報どこにも公開されてなかったんだよー、
と私たちはゲッソリしながらビザを受け取ったのでした。

大使館の皆様、調整員の皆様、本当にありがとうございました。

タンバで会う約束をしていた方達、ごめんなさい。
このまま出発することになります。
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音量を大きくしてお楽しみください

Posted by うえはらせいこ on 17.2010 1 comments 0 trackback
ゴレ島で見つけたスゴい人

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タンバに帰る

Posted by うえはらせいこ on 16.2010 2 comments 0 trackback
タンバクンダに帰りたい様な
帰りたくない様な複雑な気持ちだった
ダカール最終日

帰りたい理由はやっぱりセネ人友達がいるから
帰りたくない理由は、「お土産ちょうだい」と言われるから。

そして、
タンバは遠いから

なんせ車で早くて8時間。
しかもセットプラスという8人乗りの車に
ギュウギュウ詰めでクーラー無し

ドライブは好きだけれども、
セットプラスはどうも好きになれない

ガラージュに着いて、タンバ行きのセットプラスの
チケットを買うも、最後の一席がなかなか埋まらない。

1時間くらい待って、やっと男性が買ってくれた!
今回の乗車人数男性4人+女性3人+子ども3人+運転手。
あきらかに定員オーバーやろぉ

タンバ行きはいつもはあまり休憩を挟まないらしいのだけれど
今回の運転手さんはトイレ休憩と、昼ご飯休憩をいれてくれた!

昼ご飯は「家で炊きたての白ご飯が食べたい
と思っていたので、ジュースで我慢していたら
「おい、一緒に食おーぜ」と最後にチケットを買った男性が
羊肉の炭焼きを持ってきてくれた

優しーーーぃ

「もう、あと一席だけなら私が買うから出発しようよ」と
短気な私は待っている時にちょっと考えてしまったのだけれど
いろんな人が一緒に長旅をするのも、ドラマが生まれておもしろい。

そして、家に着くと大家さん宅の人が外に出てくつろいでいる
「お土産はー」と一斉に言われたら心が折れちゃう…

でも、そんな心配は無くて「寂しかったよー」と迎えてくれた

家の中でテレビを見ていた長女は
「帰ってきたーこっちこいよ」のあとに「お土産は」と言ってきたので
「私がここに帰ってきたじゃない」とウォロフ語で言うと大爆笑していた

我家のガルディアン(警備員)は私の不在が
心配になったのと、寂しくなったらしく
何回か電話くれたし

タンバクンダに行くというよりも
帰るという言葉を痛感した上京であった。

三角貿易

Posted by うえはらせいこ on 14.2010 3 comments 0 trackback
17世紀から18世紀にかけて、
西欧諸国は大西洋で三角貿易を行いました。

DSCF3154.jpg

ヨーロッパからアフリカ大陸には雑貨や武器を輸出し
空になった船に黒人奴隷と呼ばれた人々を積み
アメリカに送り、奴隷制プランテーションを行う労力として
売っていたのでした。

そしてさらにアメリカで奴隷を降ろすと
奴隷プランテーションで栽培された
綿花・コーヒー・タバコ・砂糖などを
船に積んでヨーロッパに戻ったのでした。

その拠点のひとつとなったのが、
セネガルのゴレ島だったのです

今でも奴隷の家という博物館が残っていて
たくさんの来館者がいました
DSCF3159.jpg

DSCF3135.jpg

ここ奴隷の家に、出航前の奴隷達が集められていたと言われています。
細く薄暗い廊下には窓が一つしかありませんでした。
DSCF3147.jpg
きっと島の景色を見て里心がつかない様にしたのでしょうね。

その先には額縁に入った海の絵の様に
一つだけ戸口が見えてきます。

帰らざる戸口

DSCF3143.jpg

この戸口まで潮が満ちてくると船が横付けにされて、
鎖につながれたまま、もう戻れない航海へ出てしまったのです。
DSCF3149.jpg

その数は1,000~1,500万人といわれています。

DSCF3144.jpg

今度は、お金を払ってもいいからガイドさんに
ついてもらって回ってみたいなと思いました。

島中が観光名所でした

Posted by うえはらせいこ on 13.2010 0 comments 0 trackback
長ーい坂道を登って行くと、布製品の
お土産屋さんが見えてきます
P1020025.jpg

ちょっと路地裏に入れば、キレイな建築物が並びます
DSCF3104.jpg

サムライブルーのユニフォームを着たお兄ちゃんは
奥さんが日本人で、日本に2年間住んでいたそう
日本語、お上手でした
DSCF3107.jpg

歩き疲れて入ったレストランで頼んでみた
“鶏肉のシトロンソースがけ”
DSCF3112.jpg
ソースは自分でシトロンを絞るだけでした
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